「IGAKEN GO」イベントレポート〜自分の人生に遠慮はないか?迷ったら未来のにおいがする方へ〜

  1. イベントリポート

どーも、SHIP運営代表の石井ちゃんです。
ヘルスケアに特化したインキュベーションオフィスを展開するという命題を背負っているSHIPですが、僕達運営メンバーだけでは、インキュベーションする能力や知識は足りません。そこで僕らが目指したのは、もしヘルスケア関係で何か課題意識を持った人が現れた時に、SHIPに来ればなにか手がかりがつかめるというような場・支援の仕組みをつくることでした。

僕も色々な活動をしてきましたが、もちろん壁に当たることもあり、何度も苦しんできました。
そんな時に自分を救ってくれたのは、既に何かアクションを起こしている人たちの体験談や、乗り越える時のマインドに触れることでした。特に、超人だと思っていた人が「実は苦しかった」というように当時を振り返る話にはいつも励まされています。 そんな超人達は、自分たちのプロダクトの話はよく講演するけど、どうやってこれまでの人生を送ってきており、どうやって困難と向き合ってきたのかを話すことって意外とないと思い、そんなイベントを企画してみました。

今回は僕が知る超人の一人、五十嵐健祐先生の半生をテーマにした「IGAKEN GO」の様子をレポートします。

五十嵐先生は研修医終了後、史上最速で開業をし、院長業務と並行して、数々のデジタルヘルスアプリを作り続け、ちょきたれ続け、現在はデジタルヘルスラボとして教鞭も執るという多動ぶりです。 そんな五十嵐先生曰く「成功して表に出ている事例の倍以上は失敗をしている」、この失敗を恐れず挑戦する姿勢にどうやらヒントがありそうですね。

まずは、そんな五十嵐先生の幼少期から振り返ってみましょう。

悪そうなやつは大体友達、天才系のやつは大体多動児

五十嵐先生は1985年、群馬県高崎市に両親教師の家庭に3人兄弟の長男として生まれました。全く医療家系ではなかったけど、母親が理科の先生だった影響で幼少期から科学少年でした。群馬生まれということもあり、昔から温泉が好きで、今でも温泉の巡り歩きが趣味とのこと。

五十嵐少年は、小学校時代から既には多動児であることは明らかで、じっと座っていられず、よく親が呼ばれて怒られていました。天才には幼少期を彩る異端児エピソードが付き物ものです。「教科書で自分が覚えたページは破って紙飛行機をつくって窓から投げていた」「ピアノの線を短調になるように切って、校歌を弾いたときに哀しい曲調になるようにした」という斜め上のいたずらを行う異端児ぶりでした。

そんな変わった少年だったため、中にはいじめてくる人もいたようですが、「弁当を捨てられたら、その人の家にピザ50枚届けた」と3倍返しの反撃をしていたようです。

だが、時は経ち……

そんな異端児ぶりを遺憾なく発揮していた五十嵐少年も「高校時代から社会性にも目覚めてくる経験があった」と思春期の話に移ります。

群馬県の進学校である高崎高校というバンカラ系学校へ進学、ここでも相変わらず斜め上の活動が続きます。「靴を履きたくないから下駄愛好会に入り下駄で生活していた」「学園祭では広報をやって、地域協賛とか広告、マーケティングをやっていた」等、斜め上な活動に社会性を帯びてきたことが特徴でしょうか。その後、応援団の活動で太鼓を叩きすぎて手を骨折したため、センター試験で爆死をした五十嵐青年は浪人生活へ突入し駿台御茶ノ水校で過ごすことになります。この時の原体験がその後のお茶の水内科につながる「御茶ノ水愛」の原体験なのですが、それはまた別の話。

自分が何をしていくのか、進路に迷っていた五十嵐青年は、この頃に岩波文庫の青と白にはまります。「岩波の青・白はほとんど全部読んだ。今日のテイクホームメッセージは岩波文庫を読め、以上」と言う程に、五十嵐青年の人生観に影響を与えました。岩波文庫に影響を受けながら、人生に迷っていた五十嵐青年はこんなことを考えに行き着きます、

「国や政治、経済制度も何も『普遍』なものはこの世にない」

政治や経済等社会現象にも興味があり進路を考えていたが、世の中は変わり続けるものあり、普遍なものはない。普遍なものを追いかけることはやめて「変わり続けるを受け入れる心構え」をこの時に持ちました。同時に、今の社会で未知が残っているとすれば脳か宇宙と思い、脳を深める学問をしたいということで、医学部への進路を決めました。

慶應大学の異端児爆誕~ITが世界を変えると信じているやつは大体友達

御茶ノ水での一年が過ぎ、東大理一、慶応、慈恵、順天堂の医学部に合格。慶応への進学を決めました。慶応大学時代は、色々と書けない爆弾も含め盛り沢山過ぎて文面では書ききれないのですが(スライド参照)、幾つか紹介すると、三田祭実行委員会を行い、特に広報、出版、マスコミ対応を中心に活動、DTPやウェブ制作制作等の技術はこの頃に身に着けたとのこと。この活動は慶応の文化祭だけにはとどまらず、六大学の学園祭連合等の活動にまで拡大。ピークで8000人の学生が使っているメーリングリストの長となり、リクルーティングの広告流すのに数十万取って流すサービスを開始。「ニーズをつなぐと、利用者もハッピーだし、結果儲かるということが分かった」と語ります。

また、この頃にIT業界では超有名な慶応の村井純先生と出会い村井研の周辺の活動に出入りするようになりました。「ITの可能性のやばさを知った。ITに無関係な場所というのはこの世にほとんどないなと直感した」。当時最先端の研究室にいることでITが世界を変えていくことを目の当たりにした経験が今にも生きています。

天才児が「ハゲそうなくらいしんどかった」経験とは……

この頃にビジネスに興味を持って色々と活動しているところ、書籍を通じて勝間和代さんと出会い「マッキンゼーのパートナーだった医療経営コンサルタントのメディヴァの大石社長のところに行って色々勉強してみたら」と紹介してもらい、五十嵐先生は直感的にメディヴァに行くことにしました。今でこそ医療業界で有名なコンサルタントに成長したメディヴァですが、当時はまだ少数で運営していたそうです。インターンとして、病院や診療所の作り方、つぶし方、譲渡などについて学ぶという、ここでも斜め上な実習を行いました。その結果、五十嵐青年はある結論に至ります。「どんなにコンサルが頑張っても、現場が動かないと変わらない」。この頃から人の病院を経営するのではなく、自分の病院を経営してみたいと思うようになりました。

そんな事を考えていた矢先に仙台でグループホームを経営している人に出会い、クリニックの立ち上げ事務長に就く機会があり、在宅医療クリニックの運営を含む経営を行うこととなりました。当時の診療報酬の制度では在宅医療がかなり『手厚い』状況であったため、多店舗展開をしようと思い学生ながらに高田馬場、目白、西新宿、北千住あたりにクリニックを作り、順調に行くかと思った矢先、この頃が1番ハゲそうなくらいしんどかったそうです。

「自分が面接採用した医師や看護師が明日行けませんとかいったり、やめたいって言ったりする」朝にメールを見るのが怖く携帯を開けないこともありました。多店舗経営がなかなか上手くいかないのは、マネージャーが店舗を見て話を聞けなくなってくる5-6店舗目が臨界点、それ以上になるには何かしらの仕組みや人材確保が必要になります。

この時期の経験から「自分は多くの社員をマネジメントする多店舗経営のような事業は向いていない」と悟りました。学生時代の内にわかったのが良かったと振り返ります。成功の裏には数々の失敗あり、こういう経験により修練された結果が今の財産になっていると力強く話をされていました。

留年と停学が教えてくれた臨床医療の面白さ

この時期はこれだけ色々な活動をしていたためあまり学校には行けず、同時並行で中国で事業を立ち上げていたこともあり、中国出張と公衆衛生のテストが重なり、全校生徒が通るテストで唯一の落第点となったため、留年を宣告されました。またこの頃にクリニック運営をしていたこと等色々と問題行動のあわせ技で、当時の医学部長で現AMED理事長の末松氏に停学を言い渡されるダブルパンチ。「今思えば、この時の停学は愛情があって、あまり授業に差し支えのない時期にブレーキをかけてもらったと思っている」と遠い目で語ります。

この頃に「将来、本当に臨床医としてやっていくのか?」と考え始めた五十嵐青年は、『ちょっと普通じゃない経歴の医師』に話を聞いたら、今の自分に適したアドバイスをくれるのではないかと思い、医療界のドンこと黒川清先生や、衆議院議員かつ医師かつ弁護士で古川クローン説が産まれる程の天才医師古川俊治先生のところに相談にいきました。お二人のほうは覚えていないかも知れないですが、こちらは本気で人生相談をしましたと当時を振り返ります。ちょっと普通じゃないお二人のアドバイスは意外なことに…

「まずは臨床をやってから考えたらいいよ」

臨床医達には理解されなかったから、普通じゃない道を進んだ人にアドバイスを求めにいったところ、二人共が『臨床をした方がいい』と答えたそうです。当時の五十嵐青年は「つまんないアドバイスだな、もっと何か奇抜なアドバイスが聞けると思ったのに…」と正直落胆したそうですが「今振り返ると、あれが良かった。あの時に臨床を見つめ直す時間があったからこそ今がある、あのアドバイスは正しかった。」と染み染みと語ります。

普通じゃない二人から出た言葉だからこそ、「前例がないから」とか、「みんなと同じにしておけ」という旧来的意味で「臨床をやってみろ」と言った訳ではないことが分かります。この時の経験から、本当に臨床が重要だと思った後輩には同じアドバイスを今でもしているとのことです。

臨床やってみた

その後、素直にアドバイスを受け入れ、臨床をまずしっかりやってみようと思った五十嵐青年は、長くは続けない可能性も考慮し2年間の初期臨床研修中に必要な能力を最短で確保したいと思うようになります。

そこで、ライバルの少ない群馬の脳卒中を専門とした民間病院、「老年病研究所附属病院」に進み、臨床医として自己研鑽をすることとなりました。この時期はとにかく一生懸命研修医の業務を行い、深夜まで自主的に院内に残り、救急車が入れば積極的に救急外来に飛んでいきました。一方でこの時期には、学生時代に一緒に活動していた医学部以外の仲間達がどんどん起業し、事業でも成功していく姿を見て焦りや悔しさもあったそうです。今はとにかく医療を学ぼうとハリソン※注を通読する等の修行も達成しました。

※注 ハリソン:ハリソン内科学:歴史的な医学書、多くの場合は書棚の飾りになる六法全書のような分厚い本。本気出せば人を殺せる鈍器にもなると言われている。

助けられるのは循環器疾患のみ(諸説あり)

ハリソン通読と救急外来で臨床に没頭した日々のの結果、現代医療において死ぬ病気は癌・心不全・脳卒中・肺炎・老衰であり、基本的には老化に伴う病気であり治せない病気が多いが、血管疾患に関しては早期治療をすることで救える命があるし、予防もできる領域であることを知りました。

そのこともあり、当時出始めた脳梗塞急性期の血栓溶解療法に可能性を感じ、院内でもひときわ脳梗塞の急性期を極めようとしていました。大阪でr-tPAの講習会が開かれた際にはとにかく熱心に勉強し、しつこく質問をしていたら、国立循環器病センターの偉い人が興味を持ってくれて、そんなに興味があるのなら一度大阪に来たら?と誘ってくれたため、初期臨床研修中に国立循環器病センターでの短期研修を行うという奇跡の機会につながります。(初期臨床研修中の国立循環器病センターで研修を行う=自分で書いた漫画を学園祭で売っていたら、集英社の偉い人が見て翌週に少年ジャンプに掲載されるようなレベルです)。

国立循環器病センターに行った時は、全国から猛者が集まる環境で、非常に刺激的で、「本当に病院で寝泊まりしているくらいオタクに好きな人がいて、ここで一生闘うのは難しいと思った」と言う程に血管オタクの集う空間だったとのこと。一方で、ここで一生懸命やった後の先生たちを見ると、何故かみんな予防医療を晩年になって始めているケースに気がつき、「もしかすると急性期医療を極めた人たちは最終的に一次予防するのが1番という結論に至るのではないか」という仮説を立てたそうです。この頃に同時並行で個人で作成したのが、心房細動の検出アプリ「ハートリズム」です。ハートリズムでは、脳梗塞の一次予防として、脳梗塞の原因の一つである心房細動の検出を行い、早期に抗凝固剤を投与する事を目的としています。ハートリズムが生まれたのは、一次予防への思いからだったのです。

エース揃いの国立循環器病センターでも手が出せないのは『治療中断の症例』でした。心筋梗塞再発の多くは薬が切れていたことで起こっていました。ステント留置後の抗血小板薬2剤併用療法(DAPT)、またはその後の抗血小板療法(SAPT)をちゃんと継続出来るだけ、つまりバイアスピリンとプラビックスを処方箋に書くだけ「薬を続けてもられるだけで救える命もあるんじゃないか」と振り返ります。治療中断してしまう事例の多くはアクセスの問題であり、事件は病院内で起きていないことに気がついたのです。

そこで土日や夜間もやっているクリニックが予防をしてくれたら助かる人が増えるのではないか、多くの医者が予防医療が大事、治療継続が大事と言いながら、多くの社会人が治療継続しやすい曜日と時間帯に医療機関が開いていないのはおかしいのではないか。
単純な時間的ミスマッチなのではないかという仮説の下、普段病院がやっていない時間帯にやっているクリニックを作ればいいのではないかというお茶の水内科構想が誕生します

お茶の水内科爆誕!!!!

初期臨床研修が終わり、それまでに貯めた貯金が300万円程手元にあったため、これを開業資金として開業することを決意しました。設備改修はなるべくDIYで、固定費を下げるために常勤は可能な限り雇わない等ミニマムな開業を心がけ、300万円で開業、損益分岐点を限りなく低くした結果、初月から単月黒字、開業4ヶ月で累積黒字を達成しました。29歳、初期臨床研修が終わった年の秋のことです。
開業時の工夫等は『開業後に苦戦しないためのクリニック開業スターターガイド』に詳細が記載されていますのでご参照ください。

お茶の水内科は着々と成長し、この記事が公開となる2018年11月現在、かかりつけ患者1万5000人以上、再診率は約8割と都内では異例の数字を出しています。成長の理由を五十嵐先生は次のように分析します「医療については標準的なことをちゃんとやっているだけ。変な自費診療サービスを始めたり、不要な検査や不要な物販をせずに、真面目に医療を提供し自分達で無理に抱えずに専門医につなげれば信頼を得ようとしなくても得られる」

こうして、史上最速開業を偉業を行い、医療者として地域からの信頼を勝ち取っていく傍ら、ハートリズムやおちゃないGO等のヘルスケアアプリを開発。学長が『お茶の水 内科』で検索したところヒットした事を縁に、デジタルハリウッド大学院の校医へ、「日本にデジタルヘルスを学べる場がない」という課題意識から、2016年にデジタルヘルスラボを立ち上げ、現在も教鞭を執っています

そんな五十嵐先生が学生時代から今までにやりたかった3つのこと

(1)理想の医療機関を作ること
(2)理想の教育機関を作ること
(3)理想の社会保障システムをつくること

この中で(1)お茶の水内科はその後さらに「お茶の水循環器内科」と改称し、より心血管疾患の診療に特化、自分が理想として目指す医療機関作りを進めています。(2)に関してもデジハリでの活動と、少しずつやりたかった事を実現してきました。

これからの夢は何かとの問に、「自分で温泉を掘って、そこで美味しい酒を飲むこと」と未来を見つめて語る五十嵐先生は、その後も来場者からの質疑応答に応え、解散は12時の終電ギリギリまで盛り上がる程、熱気に溢れた話しと想いに会場は包まれました。

五十嵐先生からのテイクホームメッセージ

  1. 自分の人生に遠慮はないか?迷ったら未来のにおいがする方へ
  2. 世の中に確実なものなど1つもない、自分の直観を信じること
  3. 困難や不確実性を楽しむのがコツ。人生は一度だけ、後悔のないように

自分の人生に遠慮して生きていませんか?

<編集後記>
SHIPを開始して早1年、一番最初にTHVでやったオープンイベントがこの「イガケンGO」でした。イベントなんて生半可なものじゃない! 今回は1周年を記念してブログ記事として世に問うことにしました。

あなたにとっての幸せはなんですか?自分の人生に遠慮はないか?


五十嵐先生は色々と挑戦を続ける中でも悩み辛い時期を経て、実にシンプルな行動原理に基づき今の活動を行っていることを知りました。

「自分の人生に遠慮はないか?」の問いかけに胸元をえぐられるような感覚がありました。自分が少し人の目を気にしたり、人の評価を気にして生きているところがあるなと認識、改めて『自分軸』をしっかり持つことで遠慮のない人生が何か「自分の幸せは何か?」という事を考えさせられ、自由になれた気がした35の夜でした。

他人軸を生きてしまいがちな僕を見透かされたように発した五十嵐先生の言葉を最後にシェアさせて頂きます。

「100人中99人に嫌われたり無視されることがあっても、たった1人でも理解されれば良い、それでも日本全体では100万人くらいの理解者がいるはずだからだ」。

与えられた小さな世界にたまたまその1人がいないせいで苦しんでいる人を多く見かけます。

自分が理解されていないのは、たまたま自分の周りに理解出来る一人がいないだけなのかも知れません。SNSが発達し、思想だけでつながれる時代においては、その一人を見つけることが出来る可能性が高くなっています。より多くの共感を生むのではなく、自分に嘘をつかず自分に遠慮をせずに発信した結果、思想に共感してくれる人が1%もいたらとても幸せなことのかもしれません。

どんな人生を選ぶのか、どんな生き方に幸せを感じるのかはあなた次第。正解はありません、間違いもありません。 五十嵐先生の人生を聞くと、その一人にたまたま出会えて助かりましたという感動のストーリーではなく、「そういう一人がいるはずだ!」という想いで発信し続け、結果として共感者をこれまでにも多く集めて巻き込み続けているのだと痛感しました。未来はこちら側!

僕自身はすぐにマーケットインで、周りのニーズに合わせて自分の意見を殺してしまうところがあります。そういう生き方しか知らないと結局は生ハム原木のように自分をすり減らしながら生きていくことになってしまうのではないか。 この日から、自分自身をプロダクトアウトで磨き上げていきたいと強く願うようになり、僕の人生は大きく動き出すのですが、、、その続きはISHII GOでお会いしましょう!

次回は誰の話を聞きましょうか、皆様からのリクエストもお待ちしております。
以上、SHIP運営代表の石井がお届けいたしました。
引き続きよい旅を、VonVoyage!
(石井 洋介)

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コメント

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