「かけがえのない時間を一緒に作ってくれる診療所」(ご家族インタビュー)

おうちの診療所が、人生の最期までサポートさせていただいた患者さんとは、たくさんの物語があります。今回は、数カ月前にご自宅でご母堂を見送られた志村さんに、最期まで自宅で過ごした経験について、お話を伺いました。

――このたびは、インタビューを受けていただきありがとうございます。その後、いかがお過ごしだったでしょうか。

 母が家にいたころから、昔からお付き合いのあった多くの方が自宅に訪ねてきてくれていました。他界後もたくさんの方がいらしてくださり、私の子どもたちの友人、つまり母にとっては孫のお友達もお線香をあげに来てくれました。

 ――もとからたくさんの方が集まってくるお家だったと伺っています。在宅医療で人生の最期を迎えようとお考えいただいたのも、そうした環境を変えたくなかったからなのでしょうか。

  そうなのです。昔から老若男女問わず人が集まるフラットな家でした。でもだからと言って、在宅医療をお願いしようと決めていたわけではありませんでした。母の気持ちに合わせて決めたかったのです。在宅医療をおうちの診療所にお願いした頃には、がん末期になっていましたが、母は病気が治ると最期まで信じていました。

 娘の私としては、これまでいくつかのお看取りを経験して、人生の最期を自宅で迎えることに好印象を持っていました。家族の関係も良好でしたので、「自分の母を家で看取ってあげたい」と思っていました。でも、これまで在宅医療で最期を迎えた方は、死生観がはっきりしていて、自宅での暮らしを希望されていた方ばかり。母には「まだまだ治療を頑張りたい」という強い意志があったので、言い出すこともなかなかできませんでした。

 きっかけとなったのは、通院していた大学病院での検査入院でした。たった2日間の入院でしたが、母にとっては誰にも会えないことがつらい経験だったようで、「自宅で診てもらおうか」と自然な流れで在宅医療を始めることになりました。また病院側が在宅医療を自然なかたちで勧めてくださっていたのも後押しになりました。実は、私の息子とおうちの診療所の伴先生は高校の同級生で、家に遊びに来たこともありました。当時から母を含め家族は伴先生に好感を持っていたので、「在宅医療って大変なイメージがあるけれど、伴先生ならいいかも」と、さらにスムーズに始めることができました。おうちの診療所の在宅医療が始まって、主に診ていただいていた石井先生に初めてお会いしたときも、母は「優しくて親身になってくださる先生」と好感触だったので安心しました。

 おうちの診療所の看護師さんにも助けられました。(日浦)さえさんが初めて家に来てくれたときは、母の横に座ってお話を聞いていただきました。その後、母の中の何かが解けて、心を開いたのが分かりました。

――人生の最終段階にあることを受け入れていなかったお母様は、どのような自宅療養生活を送られていたのでしょうか?

お話を聞きながらいただいたお母さま直伝のハヤシライス

 人のお世話をするのが好きな人でした。反対に、世話されるのは嫌がりました。人の手を煩わせるのを極度に遠慮するのです。最期までトイレには歩いて行きたい。お風呂も自分で入りたい。でも、実際身体が弱っていて危ないのです。そこで “エステごっこ”を思いつきました。普通の石鹸を泡立て、それを「楊貴妃が使っていた真珠の粉入り」などと言いながら母の背中を流し、「まぁ、奥様もう効果が出ました! お肌がきれいですねー」とか言って、遊びの中で入浴介助をしてみました。来ていただいた訪問看護師さんも、「エステティシャン2号です」なんて設定にのってくださり、母も喜んでいました。

 自宅療養をしている中で、私の中の母のイメージとは違う母、知らない面を見ることもありました。母は、最期の4日くらい、私の方を見ようとしませんでした。私の妹のことは見るんです。私に対して、どう接していいか分からなくなってしまったんだと思います。私は夫も子もいて、孫もいるのに、母の中ではいつまでも体が弱い子どもで、「この子を置いて自分は死んでしまうのかもしれない。そうなったらこの子はどうなるのだろう」と思っていたようです。だから私は、「お母さん、安心して。私は大丈夫なのよ」と話しかけたりしていました。夜中の痛みが強く母の体をさすっていると、「寒いからこの中に入りなさい」と布団を持ち上げてくれます。そのまま、痩せて小さくなった母と一緒に布団に入って眠ることもありました。これは幸せな時間でした。ときにはせん妄で豹変することもありましたが、人生の最期を迎えようとする母の全てが見られたことは良かったと思っています。

 亡くなる2日前に母の意識がなくなったことを伝えると、母とゆかりが深かった方たちが来てくれました。孫も全員集まりました。プロのミュージシャンでもある妹夫婦は、時々母を連れて東北の被災地を回っていたので、そのときの曲を母の側で演奏していました。演奏後、母の姿が見えるリビングでみんなは雑談。母が一人ぼっちになっていたので、私は「お母さん、もうすぐお父さんと会えるよ。お顔のマッサージでもしようか」と母の顔に触れていました。その後、20分ほどで荒かった呼吸が静かになっていき、呼吸を終えたのが分かりました。衣装は、父と母の約40年ぶりのデートですから、天国で見つけてもらいやすいよう、私の父が、最後に母にプレゼントした服を着せました。

――最期まで、たくさんの人に囲まれて過ごしたのですね。自宅療養で、大変だったことはありますか?

 私自身の気持ちが揺れたことでした。入院とは異なり在宅の場合、家族での介護も重要です。せん妄と痛みのコントロールができず母の苦しみがピークだった頃、ちょうど家族の介護体制が薄い時期と重なりました。訪問看護師さんに深夜のケアをお願いすることが一時期増えてしまったとき、「在宅で死ぬことだけが選択肢ではないから」と言われました。

 私の疲れを気にかけてくださったのかもしれません。あわせて、訪問看護師さんのマンパワー的に対応が厳しくなってきたことも、入院を勧められた一因だったように思います。多忙な訪問看護師さんに、これ以上サポートをお願いしてはいけない。でも母は本当に苦しんでいる……。「病院だったらこんなことは起きないのかな」と思うようになりました。ついに私が「自宅ケアはもう限界かもしれない」と、おうちの診療所の先生方に入院の意向をお伝えすると、先生方はびっくり。すぐにいろいろ対応を考えてくれました。

 結果的に、夜間はおうちの診療所の医師や看護師さんが入ってくれることになり、週末は対応できる訪問看護ステーションにもう1件追加で入っていただいて、自宅療養を継続できることになり、本当に安心しました。

――自宅でお看取りまでされた今、どのように感じていらっしゃるでしょうか。

 在宅医療で、最期まで自宅で過ごせて本当に良かったと思っています。本人だけではなく家族にとっても、です。母が自宅にいると、医療が入っていても暮らしの中の1つになります。病院に行くのを悪いと言っているのでは決してありません。ただ、切り離される時間があることで「病気の人とその家族」という関係になってしまう気がします。暮らしの中で、母は最期まで母でした。家族の暮らしが続いていて、母はそれをベッドの中から見守っている。いつしか目を覚まさなくなり、そのなかで亡くなる。これは家族にとって、最高の贅沢だと思いました。

 もちろん、家族の負担はあります。私のように在宅医療にするかどうか迷っている方もいるのではないでしょうか。出合いの中で、いろいろ迷いながら決めていく。おうちの診療所の方たちは、診療の技術だけでなく、その気持ちに寄り添い伴走してくださった。それがうれしかったです。かけがえのない時間を、一緒になって作ってくれるお医者さんであり、看護師さんでした。在宅医療で良かったかどうかと言うより、「おうちの診療所で良かった」というのが私の本音です。

 母は人が好きでした。自分が亡くなる直前まで、他の人を気に掛けていました。ご近所に、ご病気のおばあさんがいて、その影響からか歩行困難になっていた方がいました。母は、自分の最期が近いことは分かっていたと思いますが、「リハビリ頑張って、歩けるようになったらあのお店のお汁粉を一緒に食べようね!」と約束したようです。おばあさんはそれを目標にリハビリをして歩けるようになったことを、先日偶然お会いして聞きました。とても泣いていらしたので、母の代わりに、私が一緒にお汁粉を食べに行く約束をしたところです。

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