『ビーイング』 増谷彩×平松祐介ダイアローグセッション【Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜②】

  1. イベントリポート

ヘルスケアコミュニティSHIPのイベント「Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜」が2021年12月18日に行われました。
今回の記事で紹介するのは、平松佑介さんと、増谷彩さんによるトークセッション。「ビーイング」を切り口に、関係性について対話しました。

Dialogue in the SHIP とは?

Dialogue in the SHIP 2021 〜価値観の対話〜
今回のテーマは「関係性を深める。その先に生まれるもの」。関係性は「深める」だけのものではありません。ただそこにいる。会釈は交わすけれど、あえて話す仲にはならない。それぞれの人が、それぞれの場で、自分にとって心地良い関係性があるのではないでしょうか。普段、人との関係性で考えていることや、現在の活動につながる思いの源泉について対話します。4つのトークセッションをお送りします。

プロフィール

●平松佑介(小杉湯3代目)
1980年、東京生まれ。杉並区・高円寺にある銭湯『小杉湯』の3代目。空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など、銭湯を基点にした繋がり、また、さまざまな企業や団体とコラボレーションした独自の企画を生み出している。2020年3月に複合施設『小杉湯となり』、2021年春には『小杉湯となり-はなれ』がオープン。

●増谷彩(omniheal/医療ライター・編集者)
群馬高専から東京農工大学工学部に編入。専門記者を志し、大学卒業後、日経BPに入社。医師向け雑誌『日経メディカル』などの記者・編集者を経て、2020年10月から現職。omnihealでは、病院外の医療に寄与するプロダクトのコンサルティングに従事しつつ、在宅医療を主とする「おうちの診療所」の運営を通じて医療現場にも立つ。Beyond Health「100年後をつくるケアと社会」連載中。


小杉湯は場所と人のコミュニケーションを設計している

増谷:よろしくお願いします。簡単に自己紹介させていただきます。元々私は専門誌の多い出版社で、専門誌の記者として働いていました。そのなかでも、キャリアが長いのは医師向けの雑誌で、7〜8年ほど担当していました。いまもフリーランスで医療ライターと編集者をしています。また、株式会社omnihealでは、医療に関係するプロダクトの制作と実際の診療所の運営もしています。平松さんも自己紹介をお願いします。

平松:こんにちは。平松と申します。中央線の高円寺という駅から来ました。昭和8年に創業し今年で88年目になる『小杉湯』という銭湯の経営をしております。僕は2016年10月から三代目として働いていて、今年で5年目になります。今日はとても楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします。

増谷:よろしくお願いします。小杉湯が平松さんの代になってからまだ5年なんですね。小杉湯さんは以前から名前を聞いていたので意外でした。

平松:高円寺では88年続いている銭湯になるので、知っていただく機会も多かったのではないかと思います。

増谷:なるほど、元々しっかり地域に根付いてらっしゃるんですね。

さて、今回のイベントのテーマは「関係性」で、私達の対談のテーマは存在するという意味を持つ「ビーイング」です。この2つを軸にお話するにあたり、小杉湯の銭湯という場や私が運営しているコミュニティでのコミュニケーションについての話ができるのではないかと思っています。

事前にお話したときに、銭湯におけるコミュニケーションについての話で印象的だったキーワードが2つあります。ひとつは「場がコミュニケーションする」、もうひとつは「サイレントコミュニケーション」。どちらも面白い言葉だと感じたので、さらに詳しくお話をきいてみたいと思います。よろしいでしょうか。

平松:はい。小杉湯を経営していると、学ぶことがとても多いです。そのうちのひとつが僕たちは人と人とのコミュニケーションを設計しているのではなく、場所と人のコミュニケーションを設計しているという気づきを得たことです。

銭湯はわかりやすく言うと、シェアリングエコノミーなんですよね。お湯を沸かして皆でシェアをしているので。番台でお金を払ったらあとはセルフサービスじゃないですか。だから、スタッフがサービスとしてのコミュニケーションを提供することはほとんどないんです。

増谷:番台を通ったあとは、セルフで楽しむ場所ですよね。

平松:そうなんです。シェアリングエコノミーでありセルフサービスであることが銭湯のビジネスモデルです。銭湯はコミュニティという概念でもよく語られるのですが、目的はお風呂に入って気持ち良くなることです。決してコミュニケーションではない。

増谷:人と話をするために銭湯に行くわけではないですもんね。

平松:はい。まずはお風呂に気持ちよく入ることを目的として銭湯に来る。その過程で、人と人とが目を合わせたり、挨拶をしたり、たわいもない会話をしたり、そういうコミュニケーションを見たり感じたりする機会はあると思います。

このように、コミュニケーションが目的ではないが、結果としてコミュニケーションを感じられることを「サイレントコミュニケーション」と僕たちは定義しています。

サイレントコミュニケーションでは、コミュニケーションの取り方に選択肢があることがすごくいいなと思っています。一人で来て気持ちよくお風呂に入れば、そもそもの目的は達成できます。そのうえで、人と話さなくても誰かの存在を感じられたり目線を合わせたりする人がいることが、すごく大事だと感じています。

 増谷:銭湯で会う人とは、知り合いではないし話したこともない。でも、全くコミュニケーションを取らないわけでもなく、うっすらコミュニケーションを取る。珍しいケースですよね。

平松:まさにそういう感じですね。これは僕もスタッフも共通しているんですけど、名前も知らないし、年齢も知らないし、肩書きも知らないけど、会ったら挨拶したりたわいもない話をしたりする人が、高円寺の町にはすごくたくさんいるんですよね。

近すぎるわけでも遠すぎるわけでもない、中距離的な人と人とのコミュニケーションが頻繁に起きるんです。

増谷:話したことがあるわけではないけどテレビでよく見る人にも一方的に親しみを覚えるようなイメージでしょうか。小杉湯ではお互いに同じ場にいるから、いざ町で出会ったらより親近感が増しそうですね。「あ、あの人だ!」みたいな。

平松:そうですね。「あの人もこの町に住んでいるんだな」という感覚を自分が得るように、名前も肩書も知らない誰かが中距離的に自分のことを知っていると思うと、自分を許容し承認してくれているような感覚になるんですよね。

増谷:なるほど。前にお話した際も、あまり肩書きや身分を話さずに人と知り合う機会があまりないから、中距離的に誰かと知り合えることが人の心を癒しているという話や、そこから小杉湯を愛する人たちが生まれて色んなプロジェクトが生まれているという話がありましたよね。

どこに住んでても一緒だと思っている若い人たちが、ここじゃないとだめだと感じる理由として小杉湯の存在を挙げてくれるのは素晴らしいことですよね。その関係性は魅力的だと感じます。

平松:本当ですよね。客観的に見ても、小杉湯ってすごいなと思うことが多くなってきています。

たとえば、大学を卒業するアルバイトが多かったので募集しようとTwitterで投稿をしただけで、16名応募していただいたんです。ちなみに、朝8時のオープン前に朝5時から8時までひとりで銭湯の掃除をする仕事なので、職務内容はそれほど変わったものではないです。

それでもたくさんの応募いただきましたし、長文のコメントを付けて応募してくれる方もいました。その内容のほとんどは小杉湯に救われた物語で「恩返しがしたいです」というメッセージが綴られていました。小杉湯って本当にすごいんだな、と感じました。

増谷:意図したところではないところで救われて、何かしたいと思ってくれている人がいることはすごく力があることだと思います。

私たちが運営しているコミュニティのSHIPでも、肩書きも知ってはいるのですが、あまり肩書きを出さないようにしているところがあって。その人が何の人かを考えるときに、職業だけでなく「○○が好きな人」と認識しているんです。

家庭でも職場でもない第三の場所で、自分が個人として認められたり癒されたりしたことで、ここのために何かやりたいとか、ここにいる人たちと何かやりたいと思ってくれてる人が多いように感じています。今日のイベントでも、午前中はコミュニティ内で出会った人たちの取り組みを表彰する時間が設けられていました。

銭湯もコミュニティと似た部分があると感じています。たとえば小杉湯でいうと、高円寺という町全体をコミュニティと捉えることもできると思います。会員制コミュニティは閉じていて、町全体は開いているという点は異なりますが、どちらも偶発的な出会いが生まれる場となっているのではないでしょうか。

平松:そうですね。小杉湯の特徴の一つは、建物を88年間建て替えていないことです。2020年には国の登録有形文化財に登録していただいています。だから、もはや神社仏閣みたいな存在で、神社のなかにお風呂があるような場所なんですよ。変わらない場所で変わらない建物で変わらないお風呂屋さんをずっとやっていること自体に、すごく力があると思っています。

また、公衆浴場という名前にもあるようにパブリックにはすごく密接に関わっている存在でもあります。小杉湯は誰に対しても開いているというより、誰に対しても閉じていない環境なんです。

会員制のコミュニティでは、運営するためにどのような権利を持てるようにするか、どのような役割を持つかが大切になると思います。一方で、小杉湯では権利や役割ではなく、許可や許容する状態を維持することに力を入れています。誰に対しても閉じていない場所であることをすごく大切にしているんです。

増谷:迎えには行かないけれど、追い返しはしないような姿勢ですよね。

平松:そうですね。この状態をどう表現するのかはまだ模索しているところです。いまのところ、コミュニティというよりは、誰でもが自由に利用できるという意味を持つコモンズの方が近いのかもしれない、と考えています。

主体と客体の反転がおきている

増谷:小杉湯では、アルバイトやお客さんなど、小杉湯のことが好きでなにかしたいと考えている人たちによるプロジェクトが起きているのも魅力的なところですよね。

平松:そうですね。お客さんと小杉湯の主体と客体が反転することになるので、僕たちのなかでは「主客が反転する」と表現しています。

僕たちは小杉湯の目標である「きれいで、清潔で、気持ちいい」に日々向き合っているのですが、従業員以外にもそこに参加してくださる方がどんどん出てきています。

銭湯はシェアリングエコノミーのセルフサービスなので、常連の方にとっては日常の場所のひとつになります。そのため、慣れてきた人のなかには掃除や片付けを積極的にしてくれる方もいます。

小杉湯ではそういう小さい主体と客体の反転がさまざまなところで起きているので、その積み重ねにより、小杉湯を運営をする側の立場になってみたい、小杉湯で何かをしてみたい、と考える方が出てくるんです。

増谷:小杉湯で何かしてみたいという方がいた時に、実行中のプロジェクトとその方をうまく繋いでいくのが今の平松さんの役目だとおっしゃっていましたね。その点もコミュニティの運営に似ているなあと思いました。

運営側がメンバーに「あれをしてください」と働きかけるのではなく、メンバー自ら「これをしたいんですけど……」という相談が持ちかけられたり、「一緒にこんなことやってみました」とメンバー同士で新しいプロジェクトを生みだしたりしていて、すごいなあと思っています。

小杉湯があることで、100点は取れなくても30点は取れるのではないか

増谷:これも以前にお話したことですが、「銭湯は公衆衛生にかなり近いところにあって、医療や健康というところの親和性を最近感じられている」とおっしゃってましたね。そのお話のなかで、100年後に小杉湯があるかないかで何が違うかという問いを立てていると伺いました。改めて、このお話をしていただいてもよいでしょうか。

平松:はい。僕は三代目なんですけど、根底にあるのは危機感なんです。僕が生まれた1980年には既に銭湯は斜陽産業でした。そのため、友達に実家が銭湯だと言うと当たり前に「大変だね」と言われたり、「壊してマンションにしたら、一生遊んで暮らせるね」みたいなことを悪気もなく言われたりしていました。

僕自身も世の中から斜陽産業と思われていることは感じ取っていて、大変そうだとは思ってはいました。でも、両親は楽しそうに経営していましたし、小杉湯は地域から愛されている場所だったので、僕も継ぎたいと思うようになりました。

それでも、35年以上大変だねと言い続けられていたからか、根底には本当に大変だという危機感があるんですよ。斜陽産業ネイティブみたいな感じです。とはいえ、80年以上続いてきたものを僕の代で終わらせることは考えられなかったです。駅伝のタスキのように自分の子供達にも繋いでいけるものにしたい、と思って小杉湯を継ぎました。

小杉湯を経営するうえでの目的は、88年間変わっていない建物で銭湯を続けることです。そのために、祖父の代から語り継がれている家訓である「きれいで、清潔で、気持ちいい」ということばを大切にして、日々の業務に向き合っています。

日々の積み重ねによって高円寺という町に小杉湯が100年続いたとしたら、何が変わってくるのか。みんなと議論したなかで、腑に落ちた答えのひとつが「健康」に対して小杉湯は存在意義があるのではないか、という点なんです。

健康とは何かを考えるうえで、いろいろ調べたり考えたりするなかで、WHOの健康についての定義にも辿り着きました。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。

日本WHO協会

この定義での健康において、小杉湯があることで100点中100点は取れなくても、30点くらいは取れるのではないかと考えています。たとえば、何もできなかったし全然うまくいかなかった日も、小杉湯に来ることができれば健康上では0点にはならない。ベーシックインカムに近い存在なのだと思います。

増谷:健やかさを保つ上で、必要なところまでは回復できる場と言えそうですね。

平松:そうですね。健康のベースの30点を担っていると捉えると、少しは意味があるんじゃないかと思います。

増谷:では、「100年後に高円寺に小杉湯があるかないかでどう違うか」という問いの100年という単位について聞かせてください。関係ないですが、私がウェブでしているコラムのタイトルがちょうど「100年後をつくるケアと社会」で近いものを感じてしまいました。どうしてその問いが出てきたのでしょうか。

平松:いままでに88年の積み重ねがあるので、続けることを考えるときにイメージするのは5年先や10年先ではなく、50年、100年、自分の死んだあとの自分の子供の代まで及ぶんです。これまでの歴史の長さがあるがゆえにこれからの100年を思いますし、100年後も小杉湯が続いていてほしいし、続いているだろうと想像するのだと思います。

あとは、祖父の代からずっと続いてきた家業であることも影響していると思います。僕が36歳のときに小杉湯を継いだ時点で、1年〜2年というスパンではなく30年後を考えてどう経営していくかを考えていました。また、続けることを考えると4代目のことも考えます。僕の娘が継ぎたいと思うかはわかりませんが、継ぐことができる選択肢を作るために小杉湯が長く続くためにどうするかを考えています。

増谷:長く続いた家業だからこそ、まず30年続けるにはどうするか、という考え方が最初からあったんですね。最初に立ち上げた事業で、急に30年後を考えたりしないですもんね。

平松:そうなんですよね。建物が88年続いていることで登録有形文化財として認めていただいていることもあり、この建物をさらに50年先や100年まで続けていくにはどうしようか、と自然と時間軸が長くなるんです。

増谷:最近では、建物を壊してビル型にする銭湯もありますね。一方で、小杉湯は88年続いた建物で続けることにこだわっていますよね。それは、先ほどおっしゃっていた場に力があると思ってのことなのでしょうか。

平松:そうですね。僕たちは小杉湯に続けていくことの強さや意味をすごく教えてもらっていて、これは建て替えたら0になってしまうと思っています。積み重ねられたものがあるから、人が集まるし、繋がるし、循環している。文化財を残していくのはコストもかかりますがそれ以上に建物の力を感じているので、建て替えずに続けたいと思っています。

増谷:小杉湯という名前で同じ場所でも建物が違ったら違うんですね。建物を失ってしまうとかなり力が失われてしまうイメージなのでしょうか。

平松:はい、全く違ったものになってしまうと思います。

増谷:なるほど。だから建物も含めて続けていくことが大事になるんですね。

平松:はい。いまの建物で続けることが本当に大事だと思っています。

小杉湯という銭湯を起点に暮らしをつくっていきたい

増谷:100年というスパンで事業を続けることを考えると、事業単体で考えるのは難しそうですよね。高円寺という町にある小杉湯の話なので、自然と町全体の話になってくるのではないかと思います。

町と向き合ったことで小杉湯から派生したプロジェクトもやってらっしゃいますよね。こちらについても伺ってもよいですか。

平松:はい。繰り返しになってしまいますが、経営するうえで根底にあるのはこのままお風呂屋さんで続けていくのは非常に難しい、という危機感です。

まず、現存の建物のままで続けていくこと自体も難しい。だから、どうすれば現存の建物のままで続けていけるかという、建物の存在意義とも向き合っています。実際に、建物を文化財にしたり、耐震の診断をしたり、どう修繕をしていくかを考えたりしています。

また、当たり前に家にお風呂がある時代に、銭湯を商売として続けること自体もかなり難しいです。そんななか、僕たちができるのは銭湯を起点に暮らしをつくっていくことだと思うんです。

僕たちは銭湯を「ケの日のハレ」と定義しています。銭湯という場所は、ハレの日に来る場所ではないと思います。でも、ケの日、つまり日常の中でちょっと幸せを感じられたり、余白を感じられたりする場所にはなれるのではないかと思ってるんです。こうした銭湯を起点とした「ケの日のハレ」の暮らしをつくっていくことができなければ、銭湯が生き残っていくことは難しいと思っています。

根底にある危機感から生存戦略を考えると、必然的に高円寺という町と向き合わなければならなくなる。だから、町との共同作業も必要になるんです。

増谷:街と運命共同体みたいなイメージですよね。銭湯のように、町と向き合わなければいけない産業は他にもいろいろありますよね。

たとえば地方銀行さんがパチンコ屋と病院のどちらに土地を売るかを考える場面で、パチンコ屋さんの方がたくさんお金を出してくれる部分はありながらも、病院にここの土地を任せる判断をすることがあったと聞きました。銀行として、目先の利益で判断するのではなく、町と運命共同体であるからこその行動ですよね。

一方で、医療記者をやっていると「病院が町の中心になって町づくりをしていこう」といった話をよく聞くのですが、素敵だと思うものの無理があるように感じていて。病院は、病気になった時や最期を看取るときにお世話になるところなので、そのような場所が中心になるのは不自然だと思っています。

そのため、病院などの医療機関は、暮らしの中心になるのではなく、暮らしのパーツとして関わるイメージが近いのではと思いました。小杉湯が「ケの日のハレ」となるように、それぞれの産業がそれぞれの時間、パーツを担うことで暮らしはつくられていくものなのだと実感しています。「暮らしをみんなで支える」というのはこういうことなんだな、と思います。私は仕事の1つとして在宅診療所の運営もしているのですが、町のなかでの在宅診療所の役割は「この町で最期まで過ごしたい」と「思うことができる」ようにするサポートをすることなのだと思います。

正直、在宅診療所に携わるまでは、「この町のこの家で死にたい」という気持ちはよくわかっていませんでした。「最期までお家にいたい」というのは頭ではなんとなくわかるけど、私自身は医療体制が整っている病院の方が安心かなと思ったりして。

しかし、在宅診療に関わるようになり、暮らしのなかで亡くなっていくところを見てきて、「最期まで住み慣れた地域で過ごしたい」「いつもの暮らしのまま人生の最期を迎えたい」と思う気持ちが分かるようになりました。治る病気だったら医療体制が整っているところでしっかり治したいと思うのは今も変わりませんが、避けられない人生の最期に、あえて日常と離れて医療体制が整っているところに行く必要はないなと思いました。自宅だととっても苦しいとか、そういった事情があったら病院や特別な施設に行きたくなるかもしれないけれど、多くの方の人生の最期は、病院でできることも在宅でできることもそう変わらないと分かったというのもあると思います。ただ、それを実現するには在宅でのサポートは必要なので、そうしたサポートの資源があって、「自宅で死にたい」と思える町であるのはとてもいいなと思いますし、そのために在宅医療診療所が地域で担えるところはやっていきたいと思っています。

平松:僕がやろうとしていることは、この建物で、高円寺という地域で小杉湯を続けて、毎日清潔で気持ち良いお風呂を提供することです。僕たちがやっている事や大切にしていることはずっと変わっていません。でも、最近は小杉湯に本来の役割以上の意味や価値を感じていただく機会も増えています。果たせる責任の範囲がすごく広くなっているのをとても感じています。

たとえば、今日のようなイベントに呼んでいただくなど、医療やケアの場面で銭湯の意味が生まれたこともあります。また、子育ての側面で子供の虐待に対して取り組んでいる方が、銭湯は子供の虐待という課題に対しても何かできることがある、と小杉湯の話をしてくれたこともあります。さらに、小杉湯という環境や集まってくる人達を見て、オープンイノベーションなどの取り組みをしている企業の方に「これは、僕達がやりたい未来の組織のあり方だ」と言っていただいたこともあります。

こうして可能性を感じてくれる方たちには共通項があると思っています。銭湯がどうすれば生き残っていけるかに対して小杉湯が挑戦をしているように、根底に危機感を持ちながら、どうすれば生き残っていけるのか、どうすれば価値を提供し続けていられるのかに向き合って挑戦している人たちなんです。

たとえば、医療従事者であればどうすればこの先医療従事者としてやっていけるのかに対して挑戦していける人たちですし、商業施設であれば商業施設としてどのように存続していくかに向き合っている人たちです。ファッションでも子育てでも教育でも、どの仕事でもこうした挑戦に向き合っている人はいるのだと思います。

増谷:omnihea社が病院の外の医療に携わろうとしているのも、医療の生存戦略の一環という見方もあるかもしれません。

近年の医療は、慢性疾患がメインになってきています。以前多くの人の命を奪っていた感染症などは、予防や治療法ができてきて制御できるようになってきたため、人が長生きできるようになりました。病院の医療は今もとても重要ですが、病院に行く前と、病院で治療した後、つまり病院の外でできることが増えています。

小杉湯さんのプロジェクトを拝見していると、場があることでシナジーが生まれやすい部分もあるのだと感じました。町の中のパーツになるにしても、小杉湯さんは町の中のレストランや飲食店など、さまざまなコラボレーションをしていますよね。そういう取り組みは場があってこその力だと思います。

平松:本当に場の力なんです。場の力であり、建物の力によって、モノからコトに繋がるようなプロジェクトやコミュニティのようなものが生まれやすくなっているし、注目されるようになってきているのだと思います。僕が小杉湯を経営していて力を感じるのは、やはり人よりも場なんです。ソフトではなくてハードの部分に向き合うのはすごく大切になるんだろうなと感じます。

増谷:omnihealでやっていることは、ハードがないものがほとんどなんです。おうちの診療所での在宅診療は患者さんのおうちに伺っていますし、SHIPもリアルの場はないところでやっているので。

なので場の魅力はすごく感じていて、町に場が欲しいという思いはあります。あと、在宅医療でも場があるといいなと思っています。あと少しで本人の希望通り自宅で最期を迎えられそうだったけれど、最期の最期で家族の介護負荷がぐっと上がって、病院に入院するケースがあります。こういうときに、在宅医療から地続きの、自宅のような感覚で使えるけれど医療体制もあるホスピスのような場があればいいねと診療所メンバーと話しています。

人生の最期まで住み慣れた地域で安心して暮らすために、基本的には自宅で過ごせるよう在宅医療はサポートするんですが、入院した方が身体を楽にするサポートができるケースはどうしてもあります。そういった方が、家族が通うのが大変な病院に入院するのではなく、同じ町内くらいの距離にあるホスピスに入れれば、身体の安心感は増し、地域には残れて人にも会いやすいといういいとこどりができるかもしれないと思っています。その場を、町の中の点としてよりシナジーが出せるようなものにできればいいなとも思います。

平松:前にお話したとき、ホスピスをやりたいという話をお聞きして、小杉湯の近くにあったらいいなって思ったんですよね。

2020年の3月に小杉湯の隣に『小杉湯となり』という施設を建てているんです。このままでは銭湯が難しいという状況を踏まえ、高円寺という町に向き合った結果つくられたものです。

もともと小杉湯の隣に風呂なしアパートがあったのですが、それがたまたま空き家になり1年間空き家として残ることになったんです。その際に、暫定利用として小杉湯のファンに声をかけて人に集まってもらって始まったのが、「銭湯ぐらし」というプロジェクトです。「銭湯ぐらし」には、20代から30代を中心とした多彩なメンバーが集まり、1年間のプロジェクトで、すごくいろんなことが起きました。その結果「銭湯ぐらし」は、僕や小杉湯は資本に関わらないかたちで、全員兼業のクリエイターによって法人化されました。

「銭湯ぐらし」を自分たちが体験した結果から、銭湯の前後の体験を小杉湯の隣で体験できる場所があると良いのではないか、という考えから建てられたのが『小杉湯となり』です。いまはコロナ渦なので銭湯自体を会員制にしていて2万円の会員制にしているのですが、「小杉湯に関わりたい」「銭湯と何かをしたい」という思いを持った方が、50~60人ほど集まってきてくれています。場があるからこそ人が集まってきますし、そこから見えてくるものや、つくられている風景はすごくあります。

小杉湯は健康に対しての存在意義があると考えると、小杉湯の隣にセカンドハウス的な施設である『小杉湯となり』があるなら、近くにホスピスのような場所があっても良さそうな気がします。介護、ケア、子育てに関わる施設も、小杉湯という銭湯を起点につくっていけたらいいなと思いますね。

増谷:「どんな状況になってもこの町に居られそう」と思えるためのものが、町に少しずつ増えていくといいですよね。

平松:そうですね。本当にそれは大事ですね。

増谷:地域に長く続いている場は、新旧どちらとも繋がれる点が強みだなと思います。昔からの町とのつながりもありますし、新しく地域に入ってきた方との新たなシナジーが生まれる可能性もあると思います。小杉湯も、昔から小杉湯のことが好きな方もいれば、小杉湯を最近知って新たに訪れる方もいますよね。88年続いているからこそ小杉湯には場の力があって、変わらないから集まってくるし、集まっているから続くような、良い循環が生まれているんだろうなと思いました。

平松:本当にそう思います。小杉湯はお風呂屋さんとして88年続いている風景があるから、50年後の風景も想像することができるのだと思います。

最近の小杉湯では結婚して子供が生まれるなど、ライフステージが変わるメンバーも増えてきているんです。僕も子育てをしているんですけど、小杉湯や小杉湯のつながりを中心に子育てをしているんです。地域のおばちゃんからのサポートもあって、僕の奥さんが一人でお風呂に入る時間を取れたりするんですよね。こうして顔を知っている安心できる人たちと子育てができる風景が見えたことで、僕はこの町で子育てをすることを想像できるようになりました。

いまの町に50年住む選択も他の土地に住む選択もあるなかで、未来も同じ町に住んでいる未来を想像できるような、自分の住んでいる町を自分ごと化できるかどうかはとても大切なことだと思います。いま住んでいる町に10年、20年、50年と住む未来まで想像できるような風景をつくっていくことができればいいなと思います。

増谷:最近私も子どもを産んだことで、街の利便性は異なるものの地域との関係という意味ではどこに住んでいても一緒だと思っていた頃とは変わってきました。この先も長く住むことを想像できるような、自分ごと化できる町に住みたいと思うようになってきましたし、作っていきたいと思います。そういう風景を見せてくれるところはとても魅力的な町だと思うので、私もそういった町づくりに関わっていけたらいいなと思います。

平松:いやーホスピス、いいですね。

増谷:地域の人が自宅のように過ごせるホスピス、ぜひやりましょう。そろそろお時間みたいなので、最後に何か一言あればお願いします。

平松:ありがとうございます。最後の話はすごくよかったですね。やっぱり50年先までこの町に自分はこうやって住んでいられるんだって想像できるような風景を作っていくことがすごく大切だし、それがケアや医療につながるんだろうなと思いました。

増谷:人生ですよね。ありがとうございました 。

平松:ありがとうございました!

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